モンゴル人の友人、バヤラーが来日した。京都で会って、お昼時になり、何か食べたいものはある?と聞いた。すると意外な返事が返ってきた。
「しらす丼以外だったら何でも〜」
日本語堪能な彼女は、日モ共同プロジェクトのコーディネーターなど日本に関わる仕事をしており、来日も5回目である。内陸国ゆえに魚を食べつけない人が多いモンゴルで彼女は、魚はもちろん大抵の日本料理はOKだ。
にも関わらず、しらす丼はだめだと言う。なぜ?
「あのね〜、目がたくさんで、見られてるようでちょっと怖いの」
「それにほら、うち遊牧民でしょう。まゆこさんはわかると思うけど、羊や牛を一頭解体したら、みんなでそれを食べ続けるじゃない?だから、しらす丼みたいに一人でたくさん、一度に食べるのは申し訳ない気がするの」
ああ、そうか。そうだね。
彼女の実家は、砂漠で知られるゴビ地方の遊牧民だ。
バヤラーが小さかった頃、モンゴルは社会主義だった。彼女のおばあさん達は、国に課せられた肉や羊毛のノルマを達成するために非常に苦労したそうだ。それでも彼らは遊牧を続けた。
資本主義になって、バヤラーの両親も遊牧に戻った。公務員と獣医だったが、安定の地位を捨て、自然に戻ることを選んだ。
遊牧民が次々と辞めて都会に出ていく中、バヤラーの弟さんは遊牧を選んだ。ゴビに伝わる知識や知恵を引き継いでいる彼に、バヤラーはとても感謝している。
首都ウランバートルに住んで長く、外国のこともよく知っているけど、バヤラーの芯は遊牧民なのだ。家族と家畜と自然を大事に生きる、誇り高きモンゴルの遊牧民。
岡本
ああモンゴル:モンゴルでメガネを修理した一部始終(下)2017/12/25「もちろん!ちょっとまゆこさんテープで巻いてたんですかぁ?はい直しましょう!ここに来たなんて直しなさいということですよ〜!バヤラーが言ってあげます!」
あっという間にメガネを取り上げられ、裸眼視力0.1以下の私は右往左往するしかない。片眼ずつ塞いで検査表を見てみたりしていると、お姉さんに「頭でも痛いのか」と心配されてしまった。遊牧民出身のお姉さんにメガネが必要だったことはない。
その間バヤラーちゃんは店の奥で、「ちょっとコレは直せない」というメガネ屋にそこを何とかとネジ込んでくれている。
出てきた。
直った?
「はい行きますよ〜!2階のдархан(ダルハン:鍛冶屋)で、ねじ穴を開けてもらってきなさいだって!」
鍛冶屋!?
予想外の答えにおののく。しかしもう流れに身を任せるしかない!
咥えタバコの鍛冶屋のおっちゃんは無表情でつるを受け取った。じっくり観察し、合うサイズのドリルを取り出す。明らかに一番細いやつだ。
タバコを消す。釘でコンとやり、
当たりをつける。そしておもむろにドリルを当てた。
ひょえぇぇえ!
バヤラーちゃんの「これは完全に直るかまったくだめかのどっちかですね〜アハハ」という言葉に頷くしかない。これが一か八かか。
「ちょっと硬いなこれは」と言うおっちゃんを、そこを何とか頑張ってくれと励ます。メガネの修理とはこんなに手に汗握るものだっただろうか。
かくして穴は開いた。チンギス・ハンの軍隊を支えた鍛冶技術。このおっちゃんのなかに、800年の伝統が脈々とあると思うと神々しい。
支払いは3000トゥグルグ。135円である。
「すごかったですね〜まゆこさん!じゃあ下に行きましょう!」
ねじを穴に入れてみせるバヤラーちゃんもテンションが高い。
下での作業はすぐに終わった。
「できましたよぉ〜!」
本体とつるをねじで止めただけ、端の始末などはない。
しかし充分である。ぶらぶらしない。固定されている。そう思った瞬間に、体全体に広がった安堵感!
「ぜんぜん大丈夫じゃなーい?よかったですね〜!」
会計は1000トゥグルグ、45円。合計180円。
視覚と精神の安定を取り戻すにはあまりにも刺激的でリーズナブル、また教訓に満ちた、モンゴルでのメガネ修理であった。
ああモンゴル:モンゴルでメガネを修理した一部始終(上)2017/12/23モンゴルでメガネを修理した。
渡航数日前に、かけたまま寝てしまいつるが折れてしまったメガネ。度が強く乱視も入っているため店には在庫がなく、慌てて予備を出すも度が合わなくなっておりむしろ危険と判断、セロテープでぐるぐる巻きにしてなんとか補修。
今回の目的地は北の最果て、トナカイ遊牧民の集落である。
ウランバートルから最寄りの町ムルンまで国内線で飛び(陸路だと10時間)、そこから陸路で最寄りの村まで12時間。さらに、トナカイ遊牧民の住むタイガ山の麓まで車で40分。最後に、彼らの秋営地まで馬で最低3時間。片道1000kmの大移動だ。
ちなみにモンゴルではそろそろ冬支度が始まっているため、彼らもすでに夏ではなく秋用の土地に移動している。ここでは旧暦は健在である。
さてこの往復2000kmの移動、轍だけで草原を進み、当然のように川も渡る。車の入れない山道を馬やトナカイで行く。スーパーハードモードである。
一度など、橋が使えずそれでも川を渡るため、深夜1時に2台の車同士をロープでつないだりもした。懐中電灯で川を照らし行けそうなところを確認して、「しっかり捕まってろ!」と骨太なドライビングテクニックを見せる、こういう時のモンゴル男は本当に頼もしい。
戦々恐々とするのは私である。悪路の道中に頭をぶつけまくる車内。一体メガネは無事に過ごせるのだろうか。馬やトナカイと行く山中。ゆるんでいるつるが木の枝や葉にひっかかってしまったらという不安。土や砂がテープの隙間に入ってくる。きりのない補修作業。襲い来る後悔。もう二度とメガネのまま寝てしまったりしません。メガネケースを車中で握りしめる。
新しいメガネを作る決心をした頃首都ウランバートルに戻り、ハードモードは終了した。
首都で泊めてくれたのは、モンゴル人の友人のバヤラーちゃんである。明るくて日本語堪能な彼女は、現地の日本人から絶大な信頼を得ている。
バヤラーちゃんは首都ではなく砂漠で知られるゴビ地方の出身で、私が泊めてもらった時にはそちらから親戚が泊まりに来ていた。
来月小学校に入学する息子とともに学用品を買いに来ていた彼女のお姉さんは、少し現金を調達するために壊れたネックレスなどを持ってきていた。貴金属買取の店に持っていくと言う。
3人で店に行って、取引を終える。すると今度はバヤラーちゃんが「次は向かいのメガネ屋で、バヤラーのサングラスを直しますよー!ネジが取れちゃって、自分で針金を入れてたの〜ククク」
ここでメガネ直せるの!?
(下)に続く
岡本