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いつかの日記:神主の弟の話

「平和を愛する人に」との願いで名付けられた弟は、長じて神主となった。現在は大学で研究をしているため現役ではないものの、同級生達の実家の神社が忙しい時は手伝いに行ったりしているようだ。この年末年始も帰ってこない。

家に、宗教に通じている人間がいるのは悪くないことだ。各種儀式や御札を置く場所など、神道に関してわからないことがあれば、聞けば何でもすぐに教えてくれる。

しかも説明が上手でわかりやすいため、親戚の年配者達に絶大な人気を得、神道に関するアドバイザーというポジションを不動のものにしている。妹達の結婚式でも、神社選びから式での誓詞の読み方まで弟は非常に頼りにされた。他の宗教にも知見があり、しかも古文書まで読めるため、一族からの信頼は篤い。

ある時叔父が言っていた。

「家に一人、悠久のことをやっている者がいるというのは安心感があるな」。

宗教の核心はこういうことかもしれない。

もちろん、宗教でさえも時代ごとに移り変わっていくものではあるが、それは永遠性への気持ちの持ち方、祈り方の変遷ということのように思う。

うちは神社の家系ではない。にもかかわらず弟が神道学部に進学した時は私を含め親戚中がびっくりしたが、宗教について確かな知識と経験を持ちつつ、客観的にアドバイスをくれる彼に皆とても感謝している。こういう社会貢献の仕方もあるのだ。

岡本

読みもの

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