4CYCLE

和歌山日記:熊楠さんの食べたもん

南方熊楠。

この人が何者だったか、一言で表すのは難しい。

生誕150周年だった去年、東京・上野の国立科学博物館では「南方熊楠 100年早かった智の人」という展覧会が開催された。展示期間中の関連講座は、一瞬で予約が埋まったそうだ。

博物学、生物学、民俗学、天文学、人類学などなど多分野で功績を残したことで知られる熊楠。江戸時代最後の年に和歌山市に生まれた彼は、幼少の頃から桁違いの知識欲を見せ、そのずば抜けた頭脳で大学予備門(現在の東京大学)に入学した。

しかし彼はあっさり中退。その後アメリカやイギリスに学び、科学雑誌『ネイチャー』に論文を投稿し、大英博物館に調査部員として勤務した。14年の海外生活ののち帰国し、また和歌山住まいとなった。

1904年、37歳の時に田辺市に家を借り、居を定めた。田辺が気に入った彼はその後、74歳で亡くなるまで田辺に住み続けた。その家は現在、「南方熊楠顕彰館 南方熊楠邸」として保存、公開されている。

代々田辺に住んでいる人達に熊楠のことを聞いてみると、だいたいどの人も何かしら熊楠関連の話をもっている。

60代の私の大家さん。
「もう亡くなったけどうちの祖母は昔、熊楠邸に行儀見習に行っていたことがあるらしいです。熊楠のことを、『屋根の上で本を読む変わった人やった』と言っていた」

70代の知り合いの農家さん。
「このへんはえらい神社が多いんやけどよ、それは昔、熊楠さんの合祀反対運動に共鳴したからなんやでよ」

40代の知り合いの農家さん。
「安藤みかんっていう田辺にしかない柑橘は、熊楠がグレープフルーツみたいやからって農家にすすめた品種で、今うちで育ててるのは熊楠が買った苗木の孫木」

20代の学生さん。
「実家は、熊楠さんの定番散歩コースのルート上です」

あまり熊楠のことを知らない…と地元の人達は言うが、熊楠に関する知識の多少関係なく、熊楠への親しみはやはり持っているのだと感じる。多く人が彼を「熊楠さん」と呼ぶ。

そんな熊楠の家の横に建てられた「南方熊楠顕彰館」では現在、「南方熊楠と和歌山の食文化」という展示を開催している。

熊楠の日記には食べものの話が多い。「○○で肉を買い、△△で珈琲を飲んで…」といった田辺の食べものめぐりの記述や、上記の安藤みかんの話。「縄巻鮨」という、今はほとんど作られていない熟れ寿司を、よくお土産にしていた話(ただし彼自身はほとんど口にしなかったという)。

そんな、熊楠と食べものの関わりを幅広く調査した展示である。5月3日には、「縄巻鮨」の復元を目指す、田辺市内のレストラン「ギャレット」のオーナーによるトークも開催される。

熊楠の足跡を食べ物でめぐる展示、観覧後の散歩も併せておすすめだ。

熊楠と食卓を囲みませんか

岡本

読みもの

ホームへホームへ