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いつかの日記:草原世界の陶磁研究

大阪東洋陶磁美術館の主催の「元と高麗」という公開講座に参加した。

発表者の一人である弓場紀知先生(石洞美術館館長・兵庫陶芸美術館副館長)は、私のモンゴルでの活動先であったカラコルム博物館にいらしたことがあり、帰国後も何度かお目にかかった方である。陶磁器の東西交流がご専門で、陸上ルートの重要拠点であるモンゴルに調査に来られたのだ。

さて、講座での先生のお話は「モンゴルに中国陶磁をもとめて〜草原世界の陶磁の道〜」というものである。

9世紀以降、世界の流通が陸路から海路に変化した。イスラム世界との船による交流が盛んになるのと同時に陸上ルートは一度衰え、13世紀初頭のモンゴル帝国の成立により復活した。これにより、元とヨーロッパが陸路で繋がれた。

このネットワーク化された13世紀世界のなかで、モノが動いたのかどうか。動いたとしたら、どこからどこへ、なぜ、どのように。それを陶磁の側面から研究されているのが弓場先生である。

草原領域での交易について、最初に調査したのはロシアのコズロフ隊だ。

1908-9年と1926年の二度に渡り、内モンゴルのカラホトを発掘した。出土品は現在、ロシアのエルミタージュ美術館に保管されている。その後、内陸アジアの開発に絡んで大量の中国陶磁が出土し、調査が進んだ。日本では、九州大学の故・岡崎敬が1980年、NHKが制作したシルクロードのドキュメンタリーの中でカラホトを調査したのが草分けとされている。

弓場先生はカラホトのほか内モンゴルの集寧路やオロンスム、北京の元上都、そしてモンゴル国のカラコルムなど、中国とロシアの間の草原地帯にのこる遺跡を訪ね、出土品を調査されてきた。

興味深いのは、それらから釣窯などの中国陶磁だけでなく、トルコブルーのタイルやイスラム青釉の瓦が出土しているという点である。いずれも建築資材であり、建築様式におけるイスラムの影響を示唆させるものだ。

例えばモンゴルのカラコルム遺跡内にある万安宮跡では、漢風の宮殿が建造されたというのが通説であるにも関わらずイスラムブルーのタイルが出土している。ただ、それらがどのように使われていたかはまだ定かではない。

弓場先生はこのような陶磁の行方を追いながら、世界がどのように混ざり合っていたのかをこれからも調査されていくのだろう。「やってくれる人が他にいればいいんだけどよ、いねーんだよー」とぼやく先生だが、私はまだまだ先生のご研究を楽しみにしている。

岡本

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