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和歌山日記:レモンとモンゴル帝国(1)

知り合いの柑橘農家さんに、柑橘についての本をたくさんお借りした。そのなかの一冊に、興味深い記述があった。

「…1299年、モンゴル人はアルコールとともに保存した砂糖入りのレモン汁を楽しんでいた…」トビー・ゾンネマン『レモンの歴史』(原書房、2014)

1299年といえば、まだモンゴル帝国が健在な頃。フビライ・ハンの下の世代だ。当時のモンゴル人が柑橘を楽しんでいたなど私は考えたことがなく、調べてみたいと思ったのだが、概要書のため出典などの記載がない。

そこで、お世話になっていモンゴル研究の教授に、当時の食生活などについて、心当たりの文献はないかお伺いしてみた。

まず教えていただいたのは『飲膳正要』(1330)。元朝時代(1271-1368)の食物の解説書で、イスラームの食事なども詳しく言及しているとのこと。西域も扱っており、モンゴルの食についても書かれている貴重な文献だ。京都大学附属図書館所蔵のもの(富士川文庫)が、オンラインでも閲覧可能となっている。

このなかにレモンは載っているだろうか?柑橘らしきものは、巻3の「柑子、橘子」だ。

柑子
柑子味日寒去腸胃熱
利小便止渇多食発疾病


橘子味甘酸無毒倡止
嘔下気利水道去胸
中疲熱

味だけでなく、体への作用について書いているのが興味深い。食による養生書という側面も強かったようだ。

書中の絵からも「柑」は現在の温州みかんに近いもので、「橘」はそれより小さいサイズのものだったと推測できる。しかしレモンではなさそうだ。

少し戻って、そもそもこの時代に中央・東アジアにレモンがあったかどうか考えてみる。そもそもレモンの原産地はインド東部のヒマラヤ地域と考えられ、アラビア人によってスペインに伝えられ、ヨーロッパなどに伝播したと言われている。

いつ栽培が始まったかは不明だが、イスラム帝国の成立以前、サーサーン朝ペルシアにおいてペルシア人が栽培していたことはほぼ確実なようだ。サーサーン朝を征服したアラブ人達も大々的に栽培するようになった。レモンが独立して文献に現れるのは904年で、アラブ人の農業書に記載されたとのことである。

中国にも宋の時代(960-1279年)に伝わったが、あまり栽培されなかったらしい。ということは、前出の記述のとおり1299年にレモン汁を楽しむ習慣がモンゴル人の間にあったとして、それは中国由来である可能性が低いことは少なくとも言えるだろう。

となると、問題になるのは中央アジア由来である。

(2)に続く

岡本

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