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ああモンゴル:モンゴル史研究と内陸アジア史学会(上)

私がモンゴルで活動していた歴史・考古学博物館には、日本人の研究者がよく訪れた。

私は彼らにとてもよくしてもらい、励まされ、モンゴルの歴史について、モンゴル人と仕事するとはどういうことかについて、非常に多くを教わった。感謝してもしきれない。

モンゴル研究の世界的拠点のひとつは日本だが、そのなかでも関西は中心のひとつである。

私がお世話になった先生方も関西の方が多く、モンゴル関係の学会や研究会、またモンゴル人研究者が来日する際に声をかけてくださったりと、帰国後関西に住んだ私を引き続き気にかけてくださった。おかげで私はその後もモンゴル史に興味を持ち続けていられる。

先日、そのような研究者のお一人から、「内陸アジア史学会」の研究大会のお知らせをいただいた。

大阪の大学で開催される由、これは参加せねばならない。

発表者は3人。
研究発表のテーマは以下。

一人目は7~9世紀にチベットにあった統一王国「吐蕃(とばん)」について。

二人目は14世紀イランの歴史家カーシャーニーについて。

三人目は中国の文化大革命における内モンゴルのある地区について。

研究対象の時代と地域だけとっても凄まじいバラエティである。さすが内陸アジア史学会だ。

しかしながら共通点はある。それは、どこかでモンゴルと関係してくるということだ。

チベットにかつてあった王国「吐蕃」。チベット仏教はここで確立し、他の地域にも広がっていった。

モンゴルはチベット仏教国だ。僧侶はチベット語を読み書きし、チベット語のお経を唱える。一般のモンゴル語にも、チベット語からの外来語は多い。吐蕃なしには、モンゴルにチベット仏教もなかった。

14世紀イラン。
実はこのときイランにあったのは、「イル=ハン国」という、モンゴル帝国を形成していた国家だった。この時代に、『集史』という中央アジア史上最も重要な文献のひとつが編纂された。

内モンゴルについてはいうまでもない…だろうか。よく聞かれるのだが、内モンゴルとは中華人民共和国内の「内モンゴル自治区」である。

朝青龍などを輩出したモンゴル国とは異なっているが、民族的には同じモンゴル族で、人々はモンゴル語を話す。なぜ内モンゴルが中国領になっているかの経緯には、満州国が関わっている。日本人はもっとこのことを知ってもよいように思う。

いずれも興味深い発表であったが、私が一番楽しみにしていたのはそのあとの公開講演だった。

(下)に続く

岡本

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