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いつかの日記:折り合いの料理

Facebookをスクロールしていて、ふとこの記事が目に入った。

‘Bollywood Kitchen’: A Celebration Of Indian-American Cuisine

執筆者はインド系アメリカ人二世。Sri Raoという同じくインド系二世の映画監督が出版した “Bollywood Kitchen” という本を紹介しながら、その内容に筆者の幼少時代の思い出を重ねている。

筆者はRaoの「母親達が作るインド料理と、たまに見るインド映画に、自分が知ることのない母国をみていた」という言葉に自分を重ねる。その料理が、あくまで「アメリカで手に入る食材で作れるよう工夫を重ねたもの」という部分になおさらうなずく。例に挙げられているのは、キーマカレー用のひき肉を得るためにハンバーガー用の肉を買い、ほぐして使っていたというエピソード。実に涙ぐましい。

ここまで読んで、私にもよみがえる記憶があった。

1990年代後半、父の仕事で私達一家はドイツに住んでいた。ホテル日航のある町で、その周辺には日本食レストランや食材、本を扱う店が数件営業していた。現在では考えられない商売だが、当時は日本のテレビ番組の録画を3週間遅れで仕入れていたビデオレンタル屋が繁盛していた。私は「ロングバケーション」を、この店で借りて見た。

食生活も、今でこそヨーロッパ有数のラーメン激戦区となるほどの根付き方だが、当時は日本人が多い地域とはいえまともな醤油ですら手に入りにくかったことを覚えている。

そんななか、時折キッシュなどのドイツ料理も食卓に並んだものの、母の料理はやはり日本食だった。思い返せば、大根もごぼうもサツマイモもない中で、よく毎日のごはんとお弁当を仕立ててくれていたものだと思う。台所も、ガスはなく電気コンロのみで、住み始めた頃の母は火加減に苦労していた。

一番の高級食材は冷凍うどん。たまに母が町に出かけた折、日本食材屋で買ってきてくれていたが、せっかく行っても売っていない日もあったというのがそのスペシャル感を増幅させていた。今でも実家の冷凍庫に冷凍うどんが必ず入っているのは、きっとこの頃の名残りだろう。

うどんを自由に使えなかった母が編み出したメニュー、それは焼きうどん風スパゲッティだった。焼きうどんの麺をスパゲッティに変えたものである。和えられたり煮られたりではなく、炒められるスパゲッティというのは当時の私には新鮮で、またソースを吸収しない麺が不思議な食感を作り出した。

これを初めて食べた時、自分は確かに母国から遠く離れたところにいるのだと小学生ながらに実感した。ドイツのあっという間に固くなる黒パンを削って母が作っていたパン粉とともに、私の記憶に最も色濃いドイツでの母の料理である。

3ヶ月遅れで父が持って帰ってくる日経新聞を片手に、3週間遅れの日本ドラマを見ながら焼きスパゲッティを食べ、日本のイメージを確かめる日が確かに私にもあった。

その後、2度の海外在住を経験した。今思うことは、YoutubeとKindleがあり、日本の食材の流通が増えた今でもなお、”Bollywood Kitchen” は世界中で健在だということである。

(モンゴルの田舎で作ったカレー。塊肉しか買えないので、細切れにするのが大変)

岡本

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