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いつかの日記:サーシャとロシア語のお墓

イスラエル人の友人がいる。サーシャだ。日本好きで、時々来日している。

ある時、サーシャと池袋の近くにある鬼子母神を散歩していた。お寺としての雰囲気の良さに加えて、境内にある駄菓子屋を見せたかったのだと記憶している。彼は初めて見る駄菓子屋をとても喜んでくれた。

お菓子を食べながらぶらぶら歩いていると、墓地に出た。荒川霊園だ。

それまで日本のお墓を見たことがなかった。お墓の形や、意味や、書かれていることなど、興味を持って、いろいろと質問してくる。

サーシャはユダヤ人だ。「僕は無宗教だけどね」といいながらも墓地に関心を示すところ、やはり宗教が身近にある生活をしてきているのだろう。

突然、彼が「僕これ読める!」と叫んだ。

それは十字架のあるお墓。普通の十字架ではなく、もう一本、斜めの横棒が入っている十字架。つまり、ロシア正教の十字架だ。

刻まれているのはキリル文字。ロシア語などで使われる文字である。

「え…なんで?これロシア正教のじゃない?サーシャロシア語読めるの?」

「僕はロシア生まれなんだよ。9歳までいて、イスラエルに移住したんだ」
「イスラエル建国の時、父親が愛国心を起こしてね。シオニズム運動に呼応したんだよ」
「世界中に散らばっていたユダヤ人がイスラエルに向かった。ロシアからも大勢ね。僕ら一家もそうさ」

「僕の名前、サーシャだけど、これはロシア語の名前。正式にはアレクサンドロで、サーシャはロシア流の愛称なんだ」

ああ、彼は歴史を生きてきたんだ。世界史の教科書でしか見たことがなかった、イスラエル建国という出来事。これを、人生の一大転換期としてきた人が目の前にいる。

歴史は現実に起こったことで、それは机上で感じるよりずっと最近のことなのだ。サーシャが生きている限り、このイスラエル建国という史実は死ぬことがなく、彼に次の世代ができたらまたそれは受け継がれていく。過去になる歴史はない。

「どういう人のお墓か、書いてある?」

「えーと、ロシア人の神父さんのお墓みたいだよ。日本で布教して、ここで亡くなったんだね」

「見て、ここに年号があるよ。こんな早い時期から、はるばる来日して布教していた人がいたんだね」

「なんだかしみじみするね。それにしても、久しぶりにロシア語を読んだよ。イスラエルはヘブライ語だしね。だいたいは合ってると思うんだけど(笑)」

「まぁ、間違ってても私にはわかんないけどね(笑)」

どんな人にも歴史がある。どんな選択をしてこようと、それは世界の流れとつながっているのだ。

    (ポーランドのユダヤ人墓地)

岡本

読みもの

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